“Neo-Painting from China” テキスト:黄篤(ファン・ドウ)

中国の近代絵画の歴史の主流を作るプロセスは常に、伝統的な墨絵と、フランスのアカデミズムとロシア
近代絵画のリアリズムのなどの伝統的な油絵の堅固な価値観による、変えがたい秩序に支配されてきた。

そういった美術界のシステムに対し、中国では多くの画家が、絵画の血統を受け継いだ「正統派」の芸術
論法とは異なる独自の芸術言語を確立しようと試みてきた。
もちろん、多岐に渡る複雑な情報が混在し、今日の開かれた社会の移ろいやすい状況の中で、画家の創造的
な心理に影響を落としてはいる。

今日の絵画は、いわゆる「終末」にむかって歩いているように見えるものの、その「終末」は「死」ではなく
「適応感覚の欠如」と言ってよいかもしれない。

こうした迷走する状況の中、王音(Wang Yin)、陳文波(Chen Wenbo)、史晶(Shi Jing)、秦風玲(Qin
Fengling)は絵画の意義を変える方法を発見したといえる。

彼らは、「民俗画」「非・絵画」「写真」「装飾用デザイン」、もしくは「絵画そのもの」などから、
現代絵画の新しい美学を発見し、拡大し、変型させ、構築した。

全体的な特徴を見れば、彼らには共通する美学の傾向があり、それは個々にユニークな「非・絵画」と
しての要素であり、絵画を「哲学的な表現」とし、
「純粋に客観的な表象」としてではなく世界を再編成し、再認識する手段として強調している点である。

それは非現実と虚構であり、または両者の合致したものだ。
それは絵画と反・絵画の美学的な含意、現実と抽象、インスタレーションとデザイン、そして絵画と科学を
再定義する。
このように、王音、陳文波、史晶、秦風玲の作品は「正統派」絵画の支配する芸術システムの檻を破っただけで
なく、物事を「見る」「理解する」視覚的な手段をも象徴している。

このように考えると「Neo-Painting」は多層的な意味を孕んでいる。絵画はゲームであり、規則の応用である。
身体の動きの凝固物であり、物体の主観的な表象であり、イマジネーションのスタート地点であり、精神を照らし、
輝かせるものであり、絵画そのものの変革である。

こうして、絵画は人、エロチシズム、花、日常的な環境、そして心理分析に美学的な価値を提供する。

つまりは、「Neo-Painting」というアイデアは、支配的な美術の伝統に挑戦するものだ。彼らは独自の方法で、
中国の政治的なポップアートと風刺的なリアリズムを描く画家達が示す最終段階の埒外にある可能性の地平を私達
に開き、考えさせてくれる。

最近では現代中国絵画を特徴づけるのは「見る」方法を変えるというコンセプトであり、それは伝統的な絵画の手法
だけでなく、これまでの中国の主だったアヴァンギャルドのスタイルさえ、覆しつつあるのである。
黄篤(Huang Du)

キュレーター、美術評論家

2007年北京今日美術館での第一回 「Today's Documents」 ディレクター。
主なキュレーションは「第6回上海ビエンナーレ」(2006年)、「What is Mono-ha?」
「China Contemporary:New Urban Realities」(Museum Boijmans van Beuningen, Rotterdam, the Netherlands, 2006) 「第26回サンパウロ・ビエンナーレ・中国パビリオン」(2004年)等。 

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