峯村敏明「「モノ派」とは何であったか」

第五回


いちばん均質で輪郭明瞭と思われやすい「李+多摩美系」モノ派でさえ、少し近づいて見ればこのように多様かつ多段階的であった。広義のモノ派全体での多様性がいかに大きかったかは改めて強調するまでもあるまい。この多様性ゆえに、そしてそれにもかかわらず、モノ派は「主役とされたモノの在りようや働きから直かに何らかの芸術言語を引き出そうと試みた一群の作家たち」の集団現象であったと定義しうるのである。

この集団現象それ自体は過大評価されるべきではない。モノとの直接接触によって彼らが何らかのユニークで根源的に新しい「芸術言語」を、たんにパロールとしてでなく、ラングとして確立することに成功したのでなければ、しょせんそれは、一時的な反抗の身振り、あるいは芸術という困難な課題からの逸脱・逃避として終わるほかないからである。そのような青春の反抗芸術からの逸脱という現象は、近代日本の自称新興芸術・前衛芸術のお家芸ではあっても、日本の近現代美術のあるべき姿、代表しうる姿ではありえない。この国の批評界には、1960年前後の「グタイ」や1970年前後の「モノ派」における形式不問の芸術的無責任さないし無邪気さを、前衛であることの証明として、あるいは非西欧的感性の正統な表出として、過大に評価する傾向があるが、そのような見方は、日本の芸術を西欧のものさしで見るか、あるいは、日本の芸術を非西欧的な部分でしか評価しようとしない欧米人の好みに無意識のうちに迎合することにつながっているのである。モノ派における技術と形式への無関心、つくることと想像することへの消極的な姿勢、自然への過度の依存、それと表裏をなす概念的な処方、色彩の追放、といった全般的な徴候は、それ自体に何ら価値的、積極的なものを含んではいなかった。

モノ派は、もしこれを一時期の集団的現象として共時的な目でのみ見るならば、時間をかけて形成・成熟していかなければならない日本の近代美術の流れのなかにしばしば割り込んで、歴史的忘却効果をもたらしてきたいくつかのエアー・ポケット現象の一つに数えることが許されよう。その種のエアー・ポケットは、あたかも戦争の暴力に似て、歴史的に形成されたもの、されるべきものの多くを破壊しながら、それと引き換えに、事物の関係を一変し、意識の変革をもたらす。しかし、それに伴って芸術が必ず新しい形で生まれるか否かは、別問題なのである。

では、モノ派には積極的に評価しうる要素はないのだろうか。そんなことはあるまい。モノ派のメンバーであれ、後続世代の作家であれ、このエアー・ポケット現象をくぐり抜けようとした人々が、その体験のなかから持続性と継承力のある芸術言語を確立しようと努力するかぎり、モノ派による既存関係の破壊は、新しい関係の開発あるいは古い関係の再開発として、積極的な方向に転化しうる。純粋なモノ派時代に分離していた「存在」の主題と「存在者」としてのモノとを緊密に結びつけ、手わざの必然性を深く諒解する道を開いた。彼は古い彫刻形式に戻ったのではなく、モノ派時代の体験を自ら批判的に肉化し、日本の彫刻史に新しい意識水準をもたらしたのである。それから10年後、1980年代に入って、モノ派の反技術主義、自然への一元的傾斜、ヴィジョンの抹殺等を真っ向から批判しうる本格的な彫刻集団があらわれ始めたのも、「モノ派以後」という一種の「戦後」時代の成熟と見なすことができるだろう。これら批判者の方が、モノ派の垂れ流し的追随者であるインスタレーション作家たちよりもいっそう真正な継承者なのである。

このほか、個々の作家の歩みと日本の美術界全体の歩みを通時的な目(進化論的歴史主義の目でなく)で見るならば、モノ派の時代は、それを内面的に批判して生きようとした人々にとってのみ、きわめて意義深い出来事であったことが理解できる。それは、意識の噴出であると同時に切断であり、インスピレーションであると同時に災厄であり、超えるべき障壁、魔力、虚妄、そして何よりも、芸術の領域内で起きた芸術への暴力であった。だから、モノ派は、グタイのように間違って神話化されてはならない。それは、私たちにとって、いまなお克服していかなければならない戦争体験なのである。

(AUG. 15, 1986)