イチハラヒロコ恋みくじ

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イチハラヒロコ恋みくじ

Mono-ha 1994

モノ派 ディスカッション
1994年10月14日
本日はお忙しいところお集まり頂きありがとうございます。今、画廊でモノ派の展覧会をしておりましてこれを機会に後の人がモノ派を知りたいと思う時の為に「モノ派とは?」ということを作家の皆さんに語って頂こうと思いまして御足労いただきました。前回はモノ派の流れを年代順に9人の作家でテキストを作成しましたが、今回は作家である皆様のご意見を伺いたいと思っております。…

Genshoku

「現代美術」の一つの到達点としての「幻触」(試論)
川谷承子
雑誌『美術批評』誌上で、針生一郎、東野芳明、中原佑介ら“御三家”と呼ばれた美術評論家が活躍をしはじめた頃、東京大学の大学院に籍を置く石子順造が、美術へのほとばしるような情熱を秘めて、転地療養のため静岡の清水に移り住んだのは、「幻触」誕生から10年前にさかのぼる1956年の事だった。石子が、先に清水で立ち上げたグループ「白」の経験を反省材料にして改めて組織した「幻触」は、石子の理想を具現化したような前衛集団だった。当時30歳代後半の石子は、死と隣り合わせの身体で、命を削るように批評の言葉を紡ぎだし、静岡の若い美術家たちをたきつけて制作に向かわせた。「幻触」のメンバーは、多摩美術大学出身の鈴木慶則や小池一誠のほか…

Vialla

無限またはクロード・ヴィアラ
李 禹煥
無限――。スピノザの言葉が想い浮かぶ。
このテーブルこの壁、あの樹木やそこの空気、人々家々、都市と空と星々のすベてが無限を呼吸している。世界が在るのではない、無限が広がっているのだ。無限、それはイメージではない、ここの空間がそのまま宇宙であることだ。そして空間の充満感こそが無限を換起する。まさに無限とは、生の感覚でありよろこびの泉である。私は、ベニス・ビエンナーレ(1988・夏)で、クロード・ヴィアラの作品在陳列しているフランス・パビリオンをうろつきながら、ふとこんなことを思った…

Ichihara Hiroko

イチハラヒロコ さん インタビュー
今年は活動30周年にあたり作品集の第三弾も出版されますね。そのあたりもいろいろとお話をお伺いしたいと思います。ところで、インタビューは久しぶりだとお聞きしましたが、、、
はい、ここ数年は雑誌などのインタビューを実施してこなかったんです。言葉の作品だから説明的になってしまったり蛇足になってしまったりとか。説明するとつまらなくなってしまう気がして。意地悪な言い方をすると、4つしか聞かれることが なくて。この作品を作ったきっかけはなんですか?苦労する点は?どこを見て欲しいですか?将来どうなりたいですか?その4つしか…

Ichihara Hiroko

Rika Syounen no Yume
私は理科少年だった。その頃に読んだのだろうか。「未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅人である。地図は探求の結果として、できるのである。」という湯川秀樹博士の自伝の一節が今も心に残っている。科学者の眼差しとは少し違うが、絵描きもやはり“何か”を探求したいという想いは同じだ。“何か”を追いかけているあいだに、いつの間にか時は過ぎてゆく。
花と向き合いはじめて15年目を迎える。思えばこの旅もずいぶん長くなった。初めは遠く、そして少しずつ身近に感じてきた花たちだが、近頃その距離感がとても曖昧になってきた。距離が縮まったのではなく、やはり曖昧という言葉がしっくりと馴染む。これは花と向き合っている時ばかりではない…